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2009年8月

2009年8月13日 (木)

原作者からの手紙その5

柳瀬海軍中尉はどんな人?」

靖恵さんの夫・柳瀬直行海軍中尉(やなせなおゆき・かいぐんちゅうい)は、指宿海軍航空隊の操縦士(そうじゅうし)です。もちろん架空の人物です。しかし、原作を書くにあたって、次のように考えました。

 指宿市今和泉(いまいずみ)出身、靖恵の幼馴染み(おさななじみ)、近所の「直(なお)にいちゃん」でした。
 今和泉小学校から、第二鹿児島中学校を卒業(原作者の高校の先輩になります)、海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)へ進み海軍士官(かいぐんしかん)への道を歩き、長崎県の大村海軍航空隊(おおむらかいぐんこうくうたい)に勤務しました。
 昭和18年、指宿出身であったことから指宿基地建設の応援を命じられ、以後そのまま指宿基地勤務となりました。

 直行は、兵学校の合格祝いの日、靖恵にだけ本当の気持ちを語ります。
 兄弟が多かった直行は、家族の暮らしのことを考えて、軍人の道を選びました。しかし、本当は、高等学校から帝国大学(ていこくだいがく)に進学し文学を勉強したいという気持ちがありました。新聞や雑誌の仕事をしたかったのです。この気持ちを我慢して、難関と言われた海軍兵学校に合格しました。直行の部屋には、受験勉強の合間に読んだ「岩波文庫(いわなみぶんこ)」がたくさん並んでいました。
 そして、合格祝いの日、靖恵は直行にその文庫を読ませて欲しいとねだり、直行をからかいながらもその気持ちを確かめます。(鑑賞の手引き2の言葉)

 「軍人(ぐんじん)」というのは、とても怖い人たちと思われるかもしれません。しかし、昔も今も、普通の優しい父や兄や夫達です。世界中のそんな優しい男達が人を殺す道具になっていく・・・なぜでしょう?この映画をきっかけに、みなさんんも考えてみてください。
   
映画にはない原作の言葉:「鯉(こい)を食べると元気が出ると言うが、これ以上元気になると飛行機より先に飛び出すかもしれないね」
柳田一郎

亀は意外と早く泳ぐ

昨夜、「亀は意外と早く泳ぐ」という変わったタイトルのDVDを観ました。wikipedfeiaによると「『亀は意外と速く泳ぐ』(かめはいがいとはやくおよぐ)は、三木聡監督、上野樹里主演の2005年公開のコメディー映画。三木聡によるユーモアあふれる(不条理な)世界観が、一部に熱狂的に支持されている。」だそうだが、あまり知られていない。でも観てすぐ大傑作だと思った。出演者は、上野樹里  蒼井優 要潤 温水洋一 村松利史 伊武雅刀 嶋田久作 と言うそうそうたるメンバーながら、ただもう意味がわからない展開、でも面白い。このノリは、かつてのスネイクマンショー、最近の少年メリケンサックなんかに通じるところが有るかも知れない。内容を説明すると面白くないから、まあ、観てくださいね。
監督の三木 聡(みき さとし、1961年8月9日 - )は、放シティボーイズライブ等の脚本・演出や、「エキセントリック少年ボウイのテーマ」に「作詞補」として参加するなど、幅広いジャンルで活躍している。」とあるからなるほど、と納得しました

原作者からの手紙その4

原作・鑑賞の手引き4「靖恵さんは実在?」

 小説は「フィクション」です。ヒロイン・新田靖恵(しんでんやすえ)さんは架空の人物です。しかし、実際の出来事が小説のもとになることはよくあります。原作も、長い時間をかけてお聞きしてきたいろいろな「実話」がもとになっています。

 靖恵さんにはたくさんのモデルがいらっしゃいます。そのモデルは、皆様の周りにいらっしゃる「普通の」おばあさん達です。
 戦後64年目となり、亡くなられた方も多いでしょう。まさに、戦死した夫や恋人の残した子供を必死で育て上げ、笑うことも、楽しむことも、愚痴ることもなく生きてこられた「普通の」女性達こそモデルです。

 私は、県の福祉事務所で働いたことがあります。仕事の中で、遺族の皆様のお手伝いもさせていただきました。その仕事で、「強い」(そうならなければならなかった)たくさんの女性達にお会いしました。夫を亡くした方、親や兄弟を亡くした方、子供を亡くした方、我が子を凍てつく大地に埋めてきた方、集落の人々を守るため最後まで銃を放さなかった方・・・

 私の母は、当時高等女学校の生徒でした。原作の指宿高等女学校生には、母の面影を重ねました。母は、鹿児島大空襲の夜、日吉町から赤く光る鹿児島市の夜空を見たそうです。そして、行方不明の叔母を探し遺体集積所になっていたデパートの地下などをさまよったそうです。

 いろいろな場所で、立場で、境遇で、たくさんの女性達が逞しく戦後を生きてくださった。だからこそ今がある…と思います。

 母は、昨年3月、長い闘病生活の末、亡くなりました。母を含め、必死で家族をそして社会を支えてきた、多くの女性達に感謝したいのです。きっと男達は、あなたたちが支えてくれたから、ここまでやってこれたのでしょう。この作品を、全ての「本当の」靖恵さんに、感謝とともにお届けしたいのです。

 映画にはない原作の言葉:「その勢いです。頑張ってくださいね。歴史は女達が作るものですからね。殿方は、いつも走って行ってしまうだけですから」

柳田一郎

2009年8月 9日 (日)

製作サイドから

「砂の道の向こう」を製作するにあたり、スタッフ間で様々な議論が起こり、またスタッフは原作者の柳田さんと長い長いメール交換、また直接お会いして良く話し合い、意志を同じくし、撮影に臨みました。と言うのは過去に様々な戦争映画が有りましたが、それらは戦争を悼む形を取りながら、死んでいく人々の悲しみを、涙を通して何か美しいものにしている気がしたからです。兵士は凛々しく、死に行くものは悲壮感を持ち、結局、国のために死ぬ、或いは家族、を守るために戦うと言う言葉が繰り返され、人と人とが殺し合う、また何の罪も無い人々が殺される戦争の痛ましさはそこに埋没してしまうからです。この映画を製作するにあたり、元軍人、遺族、戦争被害者、加害者から多くの話しを聞きました。またいまだに平和に対してアレルギーを持つ人々、大義のためには少数の命は犠牲にしても仕方がない、等の残念な議論があることも否めません。製作サイドは特に監督ですが、戦争で死にゆくものの表現はしない、との姿勢を取っています。
従って指宿ムービープロジェクト実行委員会がこの映画を通じて訴えたいことは、指宿の美しい自然の中、戦争と言う残酷な事実のために愛する家族が引き裂かれたこと、そしてそれはどこか別の宇宙で起きたことではなく、この指宿で実際に起きたことだと言うことです。魚見岳の麓にはつい最近まで飛行場の後があり、それは海軍の飛行艇の基地で、戦争末期には各地から優秀な飛行兵が集められ、特攻隊として連合軍の戦艦に体当たりするために飛び立った場所です。映画の冒頭で女の子が発見するコンクリートの固まりはその残骸で今でも残っています。指宿から飛び立った特攻機から軍艦を破壊されたため、米軍は指宿飛行場に向けて攻撃をしかけ、指宿飛行場は壊滅的な打撃を被り、その際民間人も多数無くなったり、重傷を負っています。
特攻隊の基地は薩摩半島各地にあり、多くの若い方が亡くなっています。

原作者からの手紙 その3

原作・鑑賞の手引き3「原作はどんな話?−2」

  原作「砂の道の向こう」の内容です。映画と異なります。
  どこがどう異なるか、想像してください。映画を見るもう一つの楽しみになるのではないでしょうか。

  短いシナリオ案を「映画」につないでいく脚本家(今回は上野監督)の感性が、「もう一つの作品」を作り上げると思います。
  原作者としても、ますます楽しみです。

  1 子供達の喧嘩…ふたりの思い出
  2 海軍兵学校合格祝い…ふたりの気持ち
  3 屋久島西方沖対潜水艦戦…指宿海軍航空隊の任務
  4 自然観察会…(現在)知林ヶ島を守る人々と見守る靖恵
  5 指宿高等女学校…噂話
  6 松林の二人…靖恵の決意
  7 大村海軍航空隊の訓練…つらい訓練
  8 亡き友の妻…女の覚悟
  9 「ト号作戦」…男の覚悟
 10 結婚…幸せ
 11 指宿基地空襲…昭和20年5月5日
 12 防空壕…作戦会議、最後の特攻
 13 約束…また会おう。
 14 出撃…昭和20年7月3日
 15 自然観察会から帰る…(現在)守る決意に喜ぶ靖恵
 16 砂の道…(現在)愛しき人
 17 鈴

映画にはない原作の言葉:「ご実家は広島市内でしたね。たしか勧業会館ですか、大きなドームのある建物が目印とお聞きしたことがあります」

いろいろな映画を見ています

最近はDVDのレンタル屋さんも安くなり、いつでもすきな映画を見ることが出来るようになりました。参考にしたり、ぱくったり、いやこれはジョークジョーク。するためにかなりな数の映画を観て、かなりな数の本を読んでいます。好きな監督はリュックベッソン、何を撮っても良い!!中でも一押しは「Angel・A」。何をやってもだめな男が河に身を投げようと欄干に立って水面を見つめていると、すぐ隣に身長が190cmくらいの大女がやはり飛び込もうとしている、実は彼女は天使。なんたってこの映画は良い。リュックベッソンはニキータやレオン、タクシー、またパトリス・ルコント監督の「橋の上の娘」これもまた良い。中年のおじさんに受けるだろうなあ。
またそこそこ最近の映画のお薦めは「ただ君を愛してる」、宮崎あおいちゃん主演、なんと泣かせることか、「今会いに行きます」と同じ原作者でもう一つの「いまあい」と言われてます。是非ご覧ください。古くは世界のクロサワの「赤ひげ」時代を超えて面白く、感動します。 まだまだありますがまた書きますね。

原作者からの手紙 その2

原作・鑑賞の手引き2「原作はどんな話?−1」

  応募の原作「砂の道の向こう」は、400字詰め原稿用紙65枚の中編小説です。
  平成20年という節目の年に、同じ節目の年となった昭和20年を思いながら書きました。
  「あらすじ」を改作し、シナリオ案として応募しました。
  
 あらすじ

 鹿児島県指宿市の魚見岳とその麓の海岸一帯は、霧島屋久国立公園に指定され、豊かな自然が指宿の人々によって守られている。
 海岸の田良岬と沖合八百メートルに浮かぶ知林ヶ島との間には、大潮の干潮の時に砂の道が現れ、岬から歩いて渡ることができる。
 かつてこの海岸には、指宿海軍航空隊基地があり、先の大戦末期、水上飛行機による特別攻撃隊が発進した。

 晩年の柳瀬靖恵は、この海岸で過ごすのが日課であった。  
 彼女の夫・柳瀬直行海軍中尉は、昭和二十年七月三日水上飛行機による特別攻撃隊の一員として出撃した。
 最後の夜、直行は靖恵に、どんなことがあっても生き延びて欲しいと言い、またあの砂の道で会おうと約束した。

  初夏のある日、靖恵が一日を過ごした海岸から帰ろうとした時、消えていた砂の道が突然現れた。
  その砂の道を、直行が別れた日のままの姿で歩いてきた。
  直行は、約束通りに懸命に生きた靖恵を誉めた。
 靖恵は、その八十三歳の生涯を、砂の道で静かに終えた。
 知林ヶ島から、かすかに鈴の音が聞こえていた。

内容構成

1 子供達の喧嘩 2 海軍兵学校合格祝い 3 屋久島西方沖対潜水艦戦 4 自然観察会 5 指宿高等女学校 6 松林を歩く二人 6 大村海軍航空隊の訓練 7 亡き友の妻の覚悟 8 「ト号作戦」の意味 9 結婚  10 指宿基地空襲 11 最後のト号作戦 12 最後の夜の約束 13 昭和20年7月3日出撃の朝 14 ト号作戦機発進 15 自然観察会から帰る子供達 16 突然現れる砂の道 17 鈴の音 

映画にはない原作の言葉:「父も喜ぶよ。靖恵さんは父のお気に入りだから」「お父様だけですか」
次回は、内容構成を、少し詳しく書かせていただきます。    
 

さて

さて、「砂の道の向こう」上映、リリースまで5ヶ月を切りました。編集、追加撮影、音声録音等、まだまだ多くの事を続けています。しかし、ここに来て指宿市役所から、KKB鹿児島放送恒例の「ふるさとCM大賞」への参加を打診があり、スタッフはばたばたし始めました。締め切りは9月1日、しかし、案もシナリオも決まっていないためみんなでああだこうだとメールが飛んでいます。今回はスタッフと役者で中学1年生までが案を出し、なかなかな評を得ています。さあもう少し待ってみましょう。

2009年8月 1日 (土)

 原作者の柳田一郎と申します

ブログをご覧の皆様、いつも応援ありがとうございます。そして、撮影に参加くださった、スタッフ・俳優の皆様、ありがとうございます。
 原作者の柳田一郎と申します。お会いする多くの方々から、いろいろなご質問を受けています。
 そこで、このブログで、順次お答えをさせていただきたいと思います。
 題名は、「砂の道の向こうー原作・鑑賞の手引き」です。

 第1段の今日は、最も多い質問です。「なぜシナリオ案を書いたの?」
 私は、指宿地区の、国立公園ボランティアとして、長く活動しています。このことが、きっかけでした。
 1 霧島屋久国立公園指宿地区のすぐれた自然に目を向けてください。・・・「知林ヶ島」と「砂の道」の存在を知っていただき、周りに広がる美しい自然を守っていきたいという気持ちです。とても先進的な判断で指宿市民の財産となった知林ヶ島を、大切にいたしましょう。
 2 指宿海軍航空隊の歴史を知ってください。・・・自然の永遠さに比べれば、ちっぽけな人間の歴史かもしれません。しかしいつの時代にも、与えられた人生を懸命に生きた名もなき人々の歴史があります。昭和20年当時、日本で唯一、海に浮かぶためのフロートをつけた水上偵察機による特攻隊が発進する最後の基地、それがこの魚見岳の麓にあったのです。世界的にも当時としてはとても優秀な飛行機だったとは言え、戦闘機ほどの能力のない偵察用の水上飛行機まで使わなければならなかった時代を知っていただきたいのです。
 3 命の大切さを考え、生き続けて欲しい。・・・現代は自殺が増えています。考えてください。生きたくても生きることを許されない世代があったことを。そして、戦場で倒れていった多くの人々を。現代はこの人々の献身と忍耐によって作りあげられたと思います。私達は、そのご苦労に報い、良い社会をつくるため、頑張って生き続けましょう。「生きることの方が辛いと思う。しかし、どんなことがあっても生き伸びて欲しい。」 

 では、次回は「原作はどんな話?」です。以後「靖恵さんは実在?」、「柳瀬海軍中尉はどんな人?」、「水上飛行機ってどんな飛行機?」、「指宿にも空襲があったの?」、「砂の道は私でも渡れますか?」などなど。

太平次 旅立ち

  • 216
    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

  • Photo_1
    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。