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2009年8月

2009年8月25日 (火)

原作者の手紙

柳田一郎です。今日は衝撃的な絵を拝見しました。先の戦争中の輸送船の記録画です。私が関わる知林ヶ島の映画を作るため、近くにあった指宿海軍航空隊を調べるうち、たくさんの商船や漁船が戦争中に敵潜水艦の魚雷によって沈んだことを知りました。この絵は、あえて残された、沈没の瞬間、最後の船の姿です。船と運命を共にする人々、乗客を助けるため救命艇を離れていく船員、墜落した敵のパイロットを救助する自らも漂流している船員達、波にのまれながら大砲から離れず最後まで撃ち続ける兵士達・・・戦争の善悪判断を超えて見ていただきたいと思いました。そして、多くの人々が今もなおこの深い海の底に眠っておられることを思い、海の安全を守ることの大切さを思いました。期日は9月6日(日)まで、場所は鹿児島市山下町の宝山ホール(鹿児島県文化センター)地下、主催は日本殉職船員顕彰会、入場料は無料、単なる宣伝とは受け止められない時間でした。以上

2009年8月20日 (木)

そのワンシーン

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2009年8月15日 (土)

原作者からの手紙 その7

原作・鑑賞の手引き7「国立公園と砂の道(知林ヶ島の砂州:ちりんがじまのさす)」

 しばらく架空の話が続きましたので、現代の本当のお話を申しあげます。

1 国立公園(こくりつこうえん)を守る人々について 

 指宿市の中の広い区域が、霧島屋久国立公園(きりしまやくこくりつこうえん)に含まれています。
 「国立公園(こくりつこうえん)」とは、我が国を代表する自然(しぜん)の風景地(ふうけいち)を守るため、国によって指定された特別な場所のことです。
 指宿市にこのような場所がたくさんあることはとても誇らしいことです。例えば、魚見岳、知林ヶ島、指宿温泉、池底、鏡池、山川湾、長崎鼻、開聞岳、大野岳、池田湖、鰻池、御門平断層崖など、主な観光地も含まれています。
 これらの場所は、自然を大切に残していく必要があります。そのため、国では環境省(かんきょうしょう)という役所が、日本中の国立公園の管理をしています。また指宿市役所(いぶすきしやくしょ)や県庁(けんちょう)にも、そのお手伝いをする仕事があり、原作者も県庁でこの仕事をしました。

 お隣の鹿児島市(かごしまし)に、環境省の「鹿児島自然保護官事務所(かごしましぜんほごかんじむしょ)」があります。そこには自然保護官(レンジャー)という人がいて、国立公園を守る仕事をしています。この環境省の仕事を、ボランティアでお手伝いする人達が「パークボランティア」です。原作者も20年以上前から「鹿児島地区パークボランティアの会」の一人です。また、「緑の少年団」や「子供エコクラブ」という子供達のボランティア活動もあります。

2 砂の道について
 
 「砂の道」は、昔はあまり知られていませんでした。しかし、パークボランティアの人達が、休暇村(きゅうかむら)のある田良岬(たらみさき)で自然観察会(しぜんかんさつかい)をするようになってから知られたように思います。そして「青い鳥(あおいとり)」というテレビドラマの舞台となって、有名になりました。
 知林ヶ島の名前の由来が、松林のこすれあう音が鈴の音に聞こえるからと語られ、ドラマの影響で「愛の島(あいのしま)」とも呼ばれ始め、とうとう「恋人同士で歩いて島に渡り、鈴の音を聞いたら結ばれる」といううわさまで立ち始めました。

 ※ このロマンチックな話を考え出した人は誰でしょう?意外と近くにいらっしゃるかも知れませんよ。

 それ以来、この知林ヶ島の砂州を観光に来る人が増えています。最近では、砂の道を安全に楽しんでいただくために、砂州の入り口で注意事項をお伝えする方々の熱心な活動も始まりました。また、今年4月には、環境省の工事により知林ヶ島の遊歩道(ゆうほどう)が完成し、島の中を安全に一周することができるようになりました。

 ※ 島の遊歩道に、1か所だけ工事中についた動物の足跡を残した場所があります。ぜひ探してみてください。

 たくさんの人に国立公園の自然に親しんでもらうことは大切です。しかし同時に、訪れる人達に鹿児島湾(かごしまわん)の入口にある島の自然とお付き合いする「マナー」もお知らせしなければなりません。映画「砂の道の向こう」がそのお役にたてるようになれば、原作者としてはとても嬉しいです。

3 指宿の女の子のみちびきについて

 原作者が指宿海軍航空隊のことを知ったのは、約10年前の自然観察会でした。
 休憩の散歩の時、指宿市内の小学生の女の子が、「いつもおじいちゃんとお参りするお墓があるの、あっちよ」と、慰霊碑(いれいひ)の前に連れて行ってくれました。原作者は、その場所に行って初めて、自然の中を過ぎた厳しい歴史を知ることができました。体がふるえました。いつかこのことを伝えなければならない…とも思いました。
 もう二十歳ぐらいになられたでしょうね。あの時のお嬢さんに伝えたいです。
 「あなたは、私の人生を変えました。この映画を見てください。あなたを育ててくださった指宿の街への恩返しです。」

 ※ ご愛読(?)ありがとうございました。ブログへの連載はこれを最後といたします。映画の完成をご期待下さい。  原作者:柳田一郎
  

図書館で七夕飾り

指宿市立図書館で七夕をしたいけど肝心の笹竹がないとのこと。早速浮来亭のお助けマン、今村俊一さんにどこにあるか聞いたところ、揖宿神社の境内にあり、そこでまた宮司の河野さんに連絡、快諾していただきトラックまで貸していただきました。無事届けることができました。やっぱり指宿市民は凄い!!

先日図書館からお礼のメールと写真が届きましたので貼っておきます。Cimg8251_4
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2009年8月14日 (金)

正義

正義の味方、と言うのが昔々いました。月光仮面やまぼろし探偵と言った勧善懲悪のヒーローですね。スーパーマンやスパイダーマンもそうかも知れないけど、彼らはもう少し複雑みたいでスーパーマンなどはアメリカの利益のために戦ってる感じすらします。
その月光仮面たちと戦ういわゆる悪人達ですが、当の本人は悪人と言う設定なので仕方有りませんが、その手下と言われる人たちのことが子ども心に不憫でした。あの人たちは月光仮面にやられるけど可愛そうだなあとか、家族はどうしてるんだろうとか考える変な子どもでした。

日本史の中の戦(いくさ)は敵味方に分かれて戦いますがかなり簡単に寝返りあまり正義は語られません。しかし、近代の国家間の戦争は正義は我に有り、敵は徹底的に殺す、などと言う論理がまかり通っています。最近のアメリカのイラクの空爆の理由は、結婚式を爆撃・銃撃しておいて、武器をもって集結していたとか、民家を爆撃し、テロリストの家だったとか、軍事工場だった、とか言っていますが、太平洋戦争の際、東京大空襲の理由は、日本には家内制工場があり、民家を装った軍事工場だからと、爆撃し、10万人とも言われる死者を出しました。この責任者は戦後、自衛隊の教育に尽くした功績と言うことで佐藤栄作首相から勲章までもらっています。

今になってやっと禁止され始めた、クラスター爆弾の一種とも言われている焼夷弾は太平洋戦争当時日本全国にばらまかれ、多くの死者を出しました。山手から海岸付近までガソリンを飛行機からまき、wikipediaによると「焼夷弾(しょういだん、英:Incendiary bomb)は、爆弾・砲弾の一種で、攻撃対象を焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っているもの(焼夷剤)が燃焼することで対象物を火災に追い込むのが目的。焼夷剤として使う物としては、主に後述するテルミットや油脂、黄燐の他にも重油などが用いられている。」、これが人間が住んでいる街の中へ落とされて炎熱地獄の中、あなた方の祖先達は死んでいったのです。

しかしまた、日本軍もまた中国で、フィリピンで、朝鮮で同じように、その国人々を殺したのです。彼らはまったく普通の社会に生きているどこにでもいる人たちでした。それは正義の名の下に行われたのです。
それは、アメリカだけでなく、ドイツが、イギリスが、オランダが、ソ連が、オーストラリアが、ほとんど世界中の国々が正義の名の下に行った戦争という犯罪です。彼らを駆り立てたのは数人が企てた経済、国家と言う名のもとに守りたかった利益です。

美しく、勇ましい言葉を並べられ、汚れのない、何も世の中を知らない、15歳から20歳前後の若者達がそれを行いました。つい先頃まで新聞に載っていたカンボジアの内戦、アフリカの内戦も同じです。

もう、正義という言葉にだまされないようにしたいと思いますが、古い人間なので、水戸黄門は観てしまいます。
笑いをとれたかな、あまり熱く書いたので昔なら、憲兵に連れて行かれて拷問を受け死んでしまっているところです。

原作者からの手紙 その6

「水上飛行機(すいじょうひこうき)ってどんな飛行機?」

 アニメ「紅の豚(くれないのぶた)」で、主人公のポルコが自由自在にあやつる飛行機が「水上飛行機」です。
 飛行機の下に、水に浮かぶための浮舟(ふしゅう、フロートとも言う)を付けた飛行機のことです。海や川や湖など、水のある場所ならどこでも降りたり(着水:ちゃくすい)、飛んだり(離水:りすい)できる便利な飛行機です。

 さて、日本海軍は水上飛行機を大事に考えました。中国(ちゅうごく)との戦争で、水上飛行機が敵の戦闘機(せんとうき)を戦って落とすという予想以上の活躍をしたからでした。また、レーダー(電波探知機:でんぱたんちき)の無い頃、空から、敵の軍艦(ぐんかん)を見つけたり、大砲(たいほう)の打ち方を指図(さしず)する水上偵察機(すいじょうていさつき)は、軍艦に積んで使う飛行機として開発されてきました。まさに軍艦の「目」となる飛行機でした。
 しかも、日本軍が南の島々を占領(せんりょう)するにつれて、飛行場を作る時間や場所が無い場合に、基地(きち)を守ったり偵察(ていさつ)をしたりするには、水上飛行機がとても便利でした。  
 ※ 偵察…敵をさがしたり、敵の様子をさぐること。

 指宿海軍航空隊は、南九州の海を守る部隊でした。この基地には、水上飛行機の中でも、「94式水上偵察機(きゅうよんしきすいじょうていさつき)」、「零式三座水上偵察機(れいしきさんざすいじょうていさつき)」、「零式水上観測機(れいしきすいじょうかんそくき)」、「二式大型飛行艇(にしきおおがたひこうてい)」という、4種類の飛行機がありました。
 ※ 二式大型飛行艇は、二式大艇(にしきたいてい)とも呼ばれ、当時世界最大の飛行艇でした。その「実物」は、鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋基地資料館前に展示してあります。

 柳瀬海軍中尉は、この中の二人乗り複葉(ふくよう)の偵察機、「零式水上観測機」の操縦士でした。そして、偵察電信員(ていさつでんしんいん)の西牟田一等飛行兵曹(にしむた・いっとうひこうへいそう)とともに「ペア」となって飛行機に乗っていました。二人は、階級(かいきゅう)は中尉の柳瀬が上でしたが、同じ飛行機に乗り生死を一緒にする仲間として、固い信頼で結ばれていました。
 ※ 複葉…翼が2枚あること。零式水上観測機は、戦闘機の性能を持たせるため、あえて複葉にした水上飛行機でした。
   階級…兵隊の位のこと。

 映画にはない原作の言葉:「ト号作戦機が発進する。ト号作戦機が発進する。各員は各部署において、これを見送れ― これを見送れ―」
柳田一郎

   
 

愛と夢と、情

最近ヨーロッパの映画にはまっています。5歳で観た「赤い風船」が今なお私の頭の中でふくらみ続けているようにヨーロッパの映画は美しく哀しくそして愛があると思っています。あのリュックベッソンのニキータやレオンにしてもその暴力の中にも愛は感じます。「Angel・A」や「橋の上の娘」もそうですが、人に対して、優しく抱くような愛を感じます。トランスポーター、ノッキンオンヘブンズドア、ああ名前を思い出せない死刑囚で超絶テクニックのピアノを弾く少女、手錠に繋がれながらクラシックを自分流にアレンジして弾きまくる、とかです。

暴力と派手さで語られるアメリカの映画には、しかし、夢があります。スピルバーグやルーカスに代表される映画を見ている方は多いと思いますが未来を否定しても、その先には夢を感じます。絶望的な未来を語る「A・I」にしてもそのテクノロジー、将来性に関しては夢が有ると思いました。ありそうもないけど泣けて泣けて原作と同じくらい泣かせる「君に読む物語」、感情移入してしまう「サイドウェイ」等々良い映画は有りますね。しかし例外はやはりあり、私が強く友人に勧めている「Before Sunrise」その続編「before sunset」これは舞台がフランス、絶対フランス映画だと思っていたらハリウッドでした。でもヨーロッパっぽいです。

そして、我が日本映画は昔も今も、映画の中に人間としての情が太い線でつづられていると思います。今日観た「サトラレ」、会社で勧められて観た「同窓会」、「約30の嘘」、哀しい「うなぎ」、スカッとする「少年メリケンサック」、なんだか昔を思い出す「歩いても歩いても」、これも痛い「ジャージな二人」かなりぶっ飛んでて面白かった「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」、哀しい哀しい「黄泉がえり」「今逢いに行きます」、見終わって何故かほっとした「幸せのかおり」これもまた哀しい「世界の中心で愛を叫ぶ」等々感動した映画は私にはすべて情が物語の中心にあると思いました。まあ、すべてとはもちろん言いませんがそんな傾向があるとは思いませんか?

戦争、についての疑問

アブナイ考え、と言うのがあると思っています。
いわゆる戦争映画、はアクション映画に通じてかっこいいですよね。スタイルも顔も良い役者がさっそうと敵を倒す、或いは倒され傷つく、同じ軍隊にいる同僚が犯す犯罪的な軍事行動をハンサムな役者が弾劾する、と言った良くある設定、話しは戦争映画の中に引き込んでいく常套手段だと思っています。また、中に登場する数々の武器、車、戦車、軍事用の船(戦艦、空母、駆逐艦等)、そして数々の航空機はその機能美、その使われ方により観客を惹きつけずにはおきません。博物館に展示されている刀剣類が美術品としての地位を得ていることと重なります。またアクション映画におなじみの敵味方入り乱れて撃ちまくる銃の射撃シーン、ターミネーター、マトリクスがその良い例かも知れませんが、それを現実に行っているのが戦争です。銃や、軍用の交通機関はかっこいいのですがそれは現実には殺人のために作られたのだと言うことを映画は忘れさせ、主人公側からすれば相手を倒すために使われ、使われた方は死んでしまうのですが、それはあまり映画の中では語られません。侵攻できた、防衛できただけで将棋の駒のように使われ死んでいく兵士、民間人(あなたや私たちのような)のことは無視されていますね。もちろん戦争映画では「もう二度とこんな戦争はしてはいけない」と役者に語らせますが、その前に派手な戦闘シーン、殺戮シーン、で観客をあおっていますので、もちろんみんな戦争は良くないと思っていると思いますが、人間の本能と言うのか戦闘、武器に寄せる興味は募って行くと思います。事実、製作サイドでは映像的に水上飛行機が飛行し、銃撃戦をやり撃ち、撃たれ炎に包まれながら降下し、亡くなっていくシーンを撮りたくて作りたくてたまらなかったんです。しかし、それを先のような理由で強固に反対するスタッフもいて、我々の意志としてそういったシーンは入れませんでした。
したがって、「砂の道の向こう」は戦うより、愛することを主軸に作る事に努めています。

2009年8月13日 (木)

編集、がんばるぞーっつ

本当にいろいろなことがあって「砂の道の向こう」、例によって例のごとく編集が遅れています。この休み中にだいたいの流れを編集終えたいと思います。そして今回の悲願である、音声のアフレコ、音声、音響のかっこ良い音作り。そして柳田さんが熱くなりまくる飛行艇、B29の爆撃の撮影。がんばるぞーっつっつっつ.
でもこれを加工しまくるのは至難の技です、っつうの!!!!

it湯治の映像

指宿で新しい湯治の提案が起きました、名付けてIT湯治」、ホテルに滞在し、温泉、散歩、観光をしながら、リラックスし、その過程、効果が数字でわかるようにするシステムで、国から認められたビジネスモデルです。指宿ムービープロジェクトはそのホームページ内と、DVD用の映像の撮影、制作を依頼され、制作に励んでいます。現在は昨年までの実験の模様を説明したスライドショーをアップしています。是非ご覧ください。

IT湯治で検索すると一番上付近に出てきます。

太平次 旅立ち

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    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

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    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

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    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。