« 映画「砂の道」 全編 | メイン

2015年4月 9日 (木)

笑顔のターミー


ターミー

ターミーはどこにでもいる普通の人。朝起きて、仕事に行き、お昼になったら昼食を食べて、また仕事をして、仕事が終わったら家に帰ります。顔は普通、かっこよくもなく、それほど不細工でもありません。
背は高くもなく、低くもなく、雑踏の中で探すのはなかなか難しいです。
食べ物は好き嫌いなく、あ、ちょっと人参とピーマンが苦手かな。

片思いですが好きな人もいますが特に付き合いたいとか、も思っていません。夢は人並みにあります。それは優しい女の人と結婚して幸せな家庭を築くこと。
子供は2人、郊外に家を建てて、静かに暮らせたらいいなと思っています。

だけど、ターミーは他の人と違うところが一つだけあります。
それは、いつも、どんな時でも、ニコニコと笑っているところです。
悲しいときも、もしかして怒っているのかなと思える時でも、優しく微笑んでいます。
若い頃好きな人ができて、不器用なターミーはすぐ好きですと言いました。
その女性は少しはっきり言葉を話す人だったので、ターミーに、あなたなんか、お金もないし、カッコよく無いし、将来もなさそうだし、はっきり言って興味もないわ、と言いました。ターミーはやはりいつものようにニコニコ微笑んでいました。

大好きなお母さんが長患いの末に亡くなった時でも、やはりニコニコと微笑んでいました。
会社が倒産して、仕事がなくなり、お金もなくなった時でも、やっぱりニコニコと微笑んでいました。

そんなターミーですから友達はたくさんいました。いつも大勢の人々に囲まれて、楽しそうにしていました。
仕事でもお客様から愛され、会社の中でも人気者でした。
ある女性からは、お付き合いしてくださいと告白までされたこともありました。
でもやっぱりニコニコと微笑むだけで何も言わなかったので彼女は振られたのだと思い、毎日泣いて暮らしました。ターミーの友達が彼女をとても愛してたので、ターミーも好きだったのですが、どうしてもぼくも愛してますと言えなかったのです。
彼女は、その友達とお付き合いして結婚しました。
ターミーは披露宴でいつもよりもっとニコニコ笑い嬉しそうにはしゃぎました。
新婦は、何故か控え室で泣いていました。
ターミーはあるひ、病気になり、激痛に苛まれました。
ターミーはニコニコ笑っていましたが、いつしか気を失ってしまいました。
その時、神様が現れて、悲しかったら悔しかったら泣いても良いんだよ、怒りたかったら怒っても良いんだよ。と良いました。
でもターミーは神様のそんな言葉にもニコニコと笑っているだけ、そんな風にターミーは生きていきました。

ターミーはいつか、みんなが知らない間にいなくなってしまいました。
住んでいた部屋に何もなくなり、仕事場でも行き先もわからないまま突然いなくなってしまいました。
皆、ターミーがいなくなって悲しみました。皆が探しました。メールが飛び交いました。SNSが飛び交いました。でも手がかりは全くつかめませんでした。

誰かが言い始めました。
ニュースで見たと。
レポーターの後ろを歩いていたと。
外国の紛争地域で物売りをしていたと。
国会中継で見たと。
大事故のニュースで倒れていたと。

誰かが言い始めました。ターミーはもしかしたら死んでるんじゃないかと。
するとまた、誰かが言いました。ターミーは死なないよ。死ぬときはこの町に帰ってきて、みんなに挨拶して天国に行くと。

何年間もターミーは見つかりませんでした。

でも、僕はこの前、この町の路地裏の飲み屋でニコニコ笑いながらお酒を飲んでいるターミーにやっと出会えました。最近どうしてるのって聞いたら、いつもの通りさと返って来ました。
優しそうな、温かそうな女の人と仲よく微笑みあって幸せそうでした。
消えてしまいそうなターミーの幸せそうなえがおでした。
ターミーに、今度こそ本当に微笑んでいられるんだねと聞きました。
ターミーは大きくうなづきながら、そうだね、今のところは、と小さな声で言って、やっぱり微笑みました。

それから、実は今日までターミーに会っていません。

もしかしたら、ターミーはもう笑っていないのかも知れません。
だって、ぼくは笑顔のターミー以外の顔を知らないから探しようがないのです。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/190636/33228335

笑顔のターミーを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

太平次 旅立ち

  • 216
    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

  • Photo_1
    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。