2009年8月 9日 (日)

いろいろな映画を見ています

最近はDVDのレンタル屋さんも安くなり、いつでもすきな映画を見ることが出来るようになりました。参考にしたり、ぱくったり、いやこれはジョークジョーク。するためにかなりな数の映画を観て、かなりな数の本を読んでいます。好きな監督はリュックベッソン、何を撮っても良い!!中でも一押しは「Angel・A」。何をやってもだめな男が河に身を投げようと欄干に立って水面を見つめていると、すぐ隣に身長が190cmくらいの大女がやはり飛び込もうとしている、実は彼女は天使。なんたってこの映画は良い。リュックベッソンはニキータやレオン、タクシー、またパトリス・ルコント監督の「橋の上の娘」これもまた良い。中年のおじさんに受けるだろうなあ。
またそこそこ最近の映画のお薦めは「ただ君を愛してる」、宮崎あおいちゃん主演、なんと泣かせることか、「今会いに行きます」と同じ原作者でもう一つの「いまあい」と言われてます。是非ご覧ください。古くは世界のクロサワの「赤ひげ」時代を超えて面白く、感動します。 まだまだありますがまた書きますね。

原作者からの手紙 その2

原作・鑑賞の手引き2「原作はどんな話?−1」

  応募の原作「砂の道の向こう」は、400字詰め原稿用紙65枚の中編小説です。
  平成20年という節目の年に、同じ節目の年となった昭和20年を思いながら書きました。
  「あらすじ」を改作し、シナリオ案として応募しました。
  
 あらすじ

 鹿児島県指宿市の魚見岳とその麓の海岸一帯は、霧島屋久国立公園に指定され、豊かな自然が指宿の人々によって守られている。
 海岸の田良岬と沖合八百メートルに浮かぶ知林ヶ島との間には、大潮の干潮の時に砂の道が現れ、岬から歩いて渡ることができる。
 かつてこの海岸には、指宿海軍航空隊基地があり、先の大戦末期、水上飛行機による特別攻撃隊が発進した。

 晩年の柳瀬靖恵は、この海岸で過ごすのが日課であった。  
 彼女の夫・柳瀬直行海軍中尉は、昭和二十年七月三日水上飛行機による特別攻撃隊の一員として出撃した。
 最後の夜、直行は靖恵に、どんなことがあっても生き延びて欲しいと言い、またあの砂の道で会おうと約束した。

  初夏のある日、靖恵が一日を過ごした海岸から帰ろうとした時、消えていた砂の道が突然現れた。
  その砂の道を、直行が別れた日のままの姿で歩いてきた。
  直行は、約束通りに懸命に生きた靖恵を誉めた。
 靖恵は、その八十三歳の生涯を、砂の道で静かに終えた。
 知林ヶ島から、かすかに鈴の音が聞こえていた。

内容構成

1 子供達の喧嘩 2 海軍兵学校合格祝い 3 屋久島西方沖対潜水艦戦 4 自然観察会 5 指宿高等女学校 6 松林を歩く二人 6 大村海軍航空隊の訓練 7 亡き友の妻の覚悟 8 「ト号作戦」の意味 9 結婚  10 指宿基地空襲 11 最後のト号作戦 12 最後の夜の約束 13 昭和20年7月3日出撃の朝 14 ト号作戦機発進 15 自然観察会から帰る子供達 16 突然現れる砂の道 17 鈴の音 

映画にはない原作の言葉:「父も喜ぶよ。靖恵さんは父のお気に入りだから」「お父様だけですか」
次回は、内容構成を、少し詳しく書かせていただきます。    
 

さて

さて、「砂の道の向こう」上映、リリースまで5ヶ月を切りました。編集、追加撮影、音声録音等、まだまだ多くの事を続けています。しかし、ここに来て指宿市役所から、KKB鹿児島放送恒例の「ふるさとCM大賞」への参加を打診があり、スタッフはばたばたし始めました。締め切りは9月1日、しかし、案もシナリオも決まっていないためみんなでああだこうだとメールが飛んでいます。今回はスタッフと役者で中学1年生までが案を出し、なかなかな評を得ています。さあもう少し待ってみましょう。

2009年8月 1日 (土)

 原作者の柳田一郎と申します

ブログをご覧の皆様、いつも応援ありがとうございます。そして、撮影に参加くださった、スタッフ・俳優の皆様、ありがとうございます。
 原作者の柳田一郎と申します。お会いする多くの方々から、いろいろなご質問を受けています。
 そこで、このブログで、順次お答えをさせていただきたいと思います。
 題名は、「砂の道の向こうー原作・鑑賞の手引き」です。

 第1段の今日は、最も多い質問です。「なぜシナリオ案を書いたの?」
 私は、指宿地区の、国立公園ボランティアとして、長く活動しています。このことが、きっかけでした。
 1 霧島屋久国立公園指宿地区のすぐれた自然に目を向けてください。・・・「知林ヶ島」と「砂の道」の存在を知っていただき、周りに広がる美しい自然を守っていきたいという気持ちです。とても先進的な判断で指宿市民の財産となった知林ヶ島を、大切にいたしましょう。
 2 指宿海軍航空隊の歴史を知ってください。・・・自然の永遠さに比べれば、ちっぽけな人間の歴史かもしれません。しかしいつの時代にも、与えられた人生を懸命に生きた名もなき人々の歴史があります。昭和20年当時、日本で唯一、海に浮かぶためのフロートをつけた水上偵察機による特攻隊が発進する最後の基地、それがこの魚見岳の麓にあったのです。世界的にも当時としてはとても優秀な飛行機だったとは言え、戦闘機ほどの能力のない偵察用の水上飛行機まで使わなければならなかった時代を知っていただきたいのです。
 3 命の大切さを考え、生き続けて欲しい。・・・現代は自殺が増えています。考えてください。生きたくても生きることを許されない世代があったことを。そして、戦場で倒れていった多くの人々を。現代はこの人々の献身と忍耐によって作りあげられたと思います。私達は、そのご苦労に報い、良い社会をつくるため、頑張って生き続けましょう。「生きることの方が辛いと思う。しかし、どんなことがあっても生き伸びて欲しい。」 

 では、次回は「原作はどんな話?」です。以後「靖恵さんは実在?」、「柳瀬海軍中尉はどんな人?」、「水上飛行機ってどんな飛行機?」、「指宿にも空襲があったの?」、「砂の道は私でも渡れますか?」などなど。

2009年7月20日 (月)

クランクアップ

7月18日で、待望のクランクアップ。皆さんのスケジュールが合わずなかなか撮影が出来ませんでした。でも本当は直行が上官から前線行きの命令を受けるシーンが残っているんです。
とは言え、大人数のシーンは終わりました。この日はスタッフは5人、空襲シーンを撮影、場所は魚見岳を避難のために駆け上がるシーンでした。このシーンは当初、空襲警報を聞いた靖恵が直行を抱き、燃えさかる炎の中を走ると言う設定でしたが、爆弾が空から落ちてくる中を走る、というのはあり得るか?と言うところから空襲を経験した方に聞いて回りました。その結果、防空壕に入ってじっと耐える、そして山に逃げる、と言う話しがありました。炎の中を逃げまどう、と言う人たちもいたようですがこれはあまり実感が湧きませんでした。防空壕に逃げ込む、は絵的緊迫感がもう一つ、と言うことで山に逃げることにしました。この日も時間が無く、時間との戦い。最初は幸恵と靖恵の再会シーン、宮ヶ浜にある文化財に指定されたお店で撮影しました。なかなか良い感じで撮れて、さあ山へ。

魚見岳で着替え、みんなで何回も坂を駆け上がり、「伏せろ」のお義父さんの声で全員が伏せます。さらに火災が多発しているため降り出した雨の中を呆然と帰る人々。

さあ、終了したら今度は開聞の旧家。ここでは空襲を知り、直樹を抱いて走り出す靖恵。またまた可愛いコウヨウ君が登場です。この雰囲気ある家は「約束」でお世話になった川畑さんが見つけてくれました。もう一軒お願いしていたんですが、時間切れでアウト。それで以前お願いした川畑さんの家で撮影することにしましたが、近くの家を借りてくださいました。
ここを終わり、以前撮影した直行の実家から、直幸を追ってとびたした靖恵を撮り。やっと終わりました。

残るは特撮シーン。そして編集です。編集はもう始めていますが、特撮が難しいなあ。原作者の柳田さんが心を込めて作った飛行機を使っての撮影はちゃちに見えないよう頑張ります。

2009年6月14日 (日)

またまたブログのまとめ書き

先日、6月7日の撮影の事を描きたくてたまらなかったのに、忙しかったのとなんだか疲れてたのとで今になってしまいました。
朝7時からいつものように前日までに用意した、衣装、小道具等持ち込み知林ヶ島手前の砂浜で直樹と靖恵が戦後歩くシーンです。衣装をちゃっちゃと変えてこれはまあまあ、時間内。しかし感心したのは冨永さんの手際の良さ。音声も担当していただいたのですが、先日のラッシュを見てマイクやその影が映り込んでいたので必ず「マイク大丈夫ですか?影入ってませんか?」と声をかけてくださったのは助かりました。また撮影の進行記録もやっていただいたのでこれも安心して進むことが出来ました。
さあ、待望のレールを使っての松林のシーンでやっとノリシゲが登場。なにしろ力自慢なので重いものは軽く運んでくれるし、段取りが良い。レールに乗ったカメラマンがしっかり予定のシーンを狙い通りに撮り終え、さあ、開聞へ。
枚聞神社の撮影で知覧から駆けつけた樋園さんがカメラを交代。とにかく美しい絵を撮りたいので、引きを多用。
そしていよいよ本日のクライマックス。開聞の古い民家をお借りしての撮影、スタッフの田中さんのお母さんのご実家だそうです。築150年のその家はどっしりとして暖かみのある家でした。ここでは家族3人で仲良くご飯を食べたり、遊んだりのシーンの撮影。これがまた綺麗に撮れた!!!ライティングがすべて計算通りに出来たんです。そしてまた冨永さんとノリシゲの手際の良さで、流れが良い方向に流れていきます。直樹役のコウヨウ君があまりに可愛いので現場の大人達はもうメロメロ。
お産シーン、別れのシーンこれらはもうなんと言っていいかわからないほど美しくリアルに、撮れました。
寝間シーンのライティングをしてカメラを据えると樋園さんが、「おーっ、美しい、色っぽい!!」と感動。靖恵役の林さんも監督代行もどれどれ。全員「うーん、素晴らしい!」
そんなわけで終了したのは午後7時。疲れたけど今日は楽しかった。

2009年6月 6日 (土)

5月24日の撮影の様子です

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2009年5月 8日 (金)

5月6日の撮影について

この日は大変でした。制作・撮影のスタッフが不摂生から(本人は知林ヶ島へロケハン、イメージの撮影で渡ったためと言ってます)足が痛くなり、思うように動けずて困り果てました。現場はコスモス幼稚園、グランドピアノを弾く靖恵先生と指宿高女の生徒のシーンは見事に撮りきりました。靖恵先生と、幸恵先生の絡みもうまくいきました。おてんばでちょっと天然な靖恵先生に対して、クールながら、本当は優しい幸恵先生との絡みも実にうまくいきました。生徒はあの時代の子供たちのように天真爛漫です。

その後、苦労して探した給食の調理施設、食事をする場所がぎりぎりで確保できたり、みなさんのがんばりでなんとかいい絵を撮ることができました。
午後は北指宿中を舞台に指宿高等女学校の下校風景を見事に(笑)再現しました。うーんうまくいった。とは制作スタッフの自画自賛の一言、今日はばたばたしたので写真はなし。

2009年5月 6日 (水)

クランクインの様子

昨日は朝からみんなてんてこまいでした。出水市やいちき串木野市から駆けつけるひとたちはもちろん鹿児島市、現地指宿のスタッフは多分5時〜6時起きだったでしょうね。集まるとみんな元気よく挨拶していましたが、現場をお借りしていただいて指宿海上ホテルはまさにゴールデンウイークの真っ最中、車の数もはんぱじゃありません。第二駐車場に駐めたり、とりあえず機材だけおろして移動させたり大忙しでした。
なにしろ昔の婚礼をやろうというので、美容室の先生の指導の下、三三九度の儀式をする瑠璃華ちゃんと、まきちゃんは綺麗に着飾り、神妙な顔です。列席するお客様もスタッフも緊張しています。
割に、予定通り進んでみんなで昼ご飯を食べて、第一現場は終了。
次は、花嫁を嫁ぎ先へ送る一行の撮影。今和泉島津家の隠居所で撮影したり、峠に見える景色の綺麗なところで撮影したり、そして旧家の門の前で撮影して今日は終了しました。

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2009年5月 5日 (火)

衣装、小物の準備・確認

2日にスタッフが集まり、今後の撮影に使う衣装、小物をチェックしました。撮影当日に「あれっ、この役者の着物、ないねえ」ではすまされないんです、今回は。昭和18年から20年が舞台なので、衣装が特殊で、あれ、変わった、ではすまないからです。
スタッフが集まり、喧々囂々とりあえず全部すみました。婚礼の衣装、当時の女子校の先生の服装も木星美容室が用意してくださることになりました。感謝感謝Pict1562
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右の写真は小百合役の田中かおりさん。今日は手伝いに来てくださいました。Pict1565

太平次 旅立ち

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    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

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    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

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    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

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    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

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    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。