2010年1月 2日 (土)

やっと

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プレス並びに関係者にお伝えしていたとおり2010年1月1日に指宿ムービープロジェクト制作映画「砂の道の向こう」をインターネットのホームページ上で放映を開始しました。これがものすごい時間がかかり、現在やっと第5話の映像・音声をネットにアップしているところです。少し納得いかなかったのは、2GBまで送れるのですが、1話はあまり慣れていないのでたった50MBでファイルを送ったことです。したがってせっかくハイビジョンで撮影したのに映像があまり綺麗ではありません。第2話は映像ファイルを作るのに設定を映像のスクリーンのアスペクト比を16:9(細長いハイビジョンのサイズ)にしたのに何故か4:3になってしまい、縦にひょろ長い映像になってしまいました。第3話はうまくいき16:9になっています。これが一番大きなサイズに見えますが映像の大きさはたいしたことはなく840MBです。第4話はやっとサイズを大きくできて映像は美しいのですが何故か少し縦長になりました。これは1.5GBあります。第5話もある程度大きく出来ましたがやはり縦長、830MBです。なんとか時間を見つけてやり直したいと思っていますが1つのファイルを変換するのに3時間〜4時間かかり、失敗したと気づいて時にはまた同じ時間をかけてやり直しです。Dsc00048
またこれをアップするのはもっと時間を要し、800MB程度のファイルのアップは4〜5時間かかります。こちらはまあほっといて外の仕事が出来ますがファイル作りは気が抜けない作業です。原因は今使っているムービープロジェクトのパソコンの性能はIntelのDual CoreのマッキントッシュですがHard discが250GBしかないので外付けのHard discに映像から音声から入れていて、それをマッキントッシュ自体のCPUで使うのにUSB2.0を経由しているので大量のデータのやりとりに時間がかかっているためです。Hard discをFirewireで繋げば少しは改善されると思いますが、Firewire対応のHard discが安くなっても25000円くらいするのでなかなか手が出ません。今会社のデザイナーが使っている4coreや新しいパソコンの8coreのCPUを使えば相当早くなるとは思いますが、やはりお金ですもんねえ。ここまで読んで、多分書いてある意味が分かる方は3〜4人くらいだと思いますが、でも書かずにいられないんです。ものすごい苦労だってあんまりみんな知らないから。まあいいか。Dsc00047
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これが映像編集の様子、と音声編集のアプリケーションです。

2009年12月23日 (水)

いろいろ

特殊撮影シーンの撮影日の事をお話しましょう。
撮影は鹿児島特撮映像研究団体にお願いしました。きっかけは鹿児島特撮映像研究団体(以後鹿特体)から事務局に届いたDVD
。内容を見て驚きました。ウルトラマンの活躍、オリジナルのヒーロー戦隊の映像でした。早速電話して特撮シーンを手伝っていただきたい旨を話しました答えは快諾。さあいよいよムービープロジェクト初の特撮です。
鹿特体の岩崎さんは熱い方で、お会いする時にはすでに撮影プランを持ってきていました。今まで培った技術、アイディア、ノウハウを話し、それで行くことに一旦はなりました。しかし、ペットボトルにガソリンを入れて発火、爆発させるというアイディアに私が凄く不安を持ち、また鹿特体もこれは未経験ということになり、先に進みませんでした。そこへ、以前から何回も連絡し続けていた(有)六葉煙火とやっと連絡がついたところから、爆発は火薬でやることに方向転換しました。
現場は岩崎さんの職場の1階を借りていただき、特撮監督として鹿特体の大川内さんがきていただき、撮影が始まりました。
撮影に使う、飛行場は岩崎さんが作りました。指宿飛行場にあったと思われる、トーチカ(コンクリートで作られた銃眼を持つ小さな砦のような射撃台)、電信柱、給水塔等々も作られ、その精密さは目を見張る物がありました。
指宿飛行場に配置されていた「零式観測機」は南九州市在住の大工、福吉大一郎さんが作りました。もちろん本物はないのでプラモデルからの製作ですがこのモデルがいくら探してもなかったんです。それを彼らはさっと見つけてきて、精密に、いわば本物そっくりに作ってくれました。原作の柳田さんも作ったんですが、機体に光沢があったり少し現実感がなく、作り直しました。B29は柳田さんのを使用しました。
六葉煙火の古閑さんは何回も発火・爆発のテストを繰り返します。火薬を使う撮影をするから許可を頂いていた、指宿消防署から署員の方もきていただきなかなか雰囲気が盛り上がってきました。
鹿児島からはるばる大川内一家がやってきて、息子さんたちも福吉さんの指導で飛行場付近に生える雑草のつもりのパセリを飛行場の周辺においていきます。
さあ、撮影。いろいろやったけど内容は以下です。
まわりに青い布を巻きました。魚見岳をバックに映すためのクロマキー編集用です。
カメラは低く、零式飛行艇の下部から狙います。ファインダーを覗いた大川内さんは、「うわっ、本物だあっ!!」。
 吹っ飛ぶ零戦をひっかける紐はうまくいかなかったので、下川路が革手袋にコートをすっぽり被り、カウントダウンでまず、爆風を煙り玉で爆発、カウントダウンから遅れること0.5秒で飛行場に落下する爆弾が爆発、零式飛行艇の翼を持っている下川路がカメラのレンズに向かって回転させながら近づけます。これを繰り返すこと3回。大川内監督はこれでOK。
この様子は特撮アルバムでご覧ください。
       
造 形…岩崎 裕行(鹿児島特撮映像研究団体  福吉 大一郎(零式観測機製作)


特殊撮影協力…大川内 健人  大川内 將人  赤崎 ゆかり  赤崎 俊喜

火薬 (有)六葉煙火Pict2414
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さあて、と

また、さぼりましたねえ。前回記載分はなんと9月22日。特撮部隊と知り合った事を楽しく紹介していました。今日は12月23日イブイブ、です。この間何をやっていたのか?をお答えしていきましょう。

先日12月20日日曜日、「砂の道の向こう」の上映試写会でした。編集もピークを迎え、この時期、相変わらず2週間ほどは睡眠時間2〜3時間で仕事も年末なので異常な状況。撮り直し、アフレコの音声の再録音、音楽の作曲(え?今頃;これには訳あり)、アレンジ、レコーディング、と過密なスケジュール。そしてさぼることを許さない、会社の仕事(ホント?)

で今まで、少しずつは映像ファイルを繋いでいたので以前ほどはパニックでは無かったし、以前より、撮影の仕方が計画的だったり、編集を考えて撮影していたので、あまり悩むこともなくたんたんと繋いでいきました。しかし、どっこい、今回は撮影時の音声を使わず、アフターレコーディングした音声を使うため、編集時間はいつもの倍。でも楽しくて楽しくて。と言うのはパズル感覚で口の動きに合わせて後で録音した音声を重ねて行くんです。でも役者は撮影現場では、ついノリでしゃべったり、台本にない台詞をしゃべったりしているので、切り貼りが大変でした。時には映像の方をスローモーションにしたり、早回ししたりしました。音声は音節でしゃべっている箇所は、まだそこで切って貼れるんですが、役者は雰囲気でしゃべるので、後で冷静に話して録音した音声とはどうしてもずれるんですね。それをまた声をちぎって重ねながら貼るんですね。
いやあ、楽しくて大変な作業にかなり時間を食いました。

苦労の割にアンケートでは声と口が合わない!!とあり、そうだよなあ、最後は時間がなくて、「えい、やっと」進めたモンなあ。それから、アフレコしたつもりでも、その音声がない!!!!。録り忘れ、録り損ないがその原因ですが、役者さん達に連絡してまた時間を割いて頂き録音。

それでも遠いところにいる方、超多忙な方にはなかなかお願いできず、そのまま流しました。すると、観客から、音声が大きかったり小さくなったりしました。と言うアンケートがあり、あら、ばれた。
鹿児島市内からわざわざ見に来てくださった映像作家の方からも言われ、原因を彼と追求したところ、アフレコと同時録音ではボリュームを落として、同じにしても、音圧が違う、雑音が多い等との理由でうるさく感じるんですね。
だから、次回の上映会に向けてアフレコをやり直すと言うことになりました。
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2009年9月22日 (火)

特撮舞台参上!!

ウルトラマンシリーズを趣味で撮影したり、創作したヒーローの映画をテレビで放映したりと、プロ並みのアマチュア軍団が指宿ムービープロジェクトの応援をしてくださることになりました。今回の「砂の道の向こう」、の最後の山場である指宿飛行場の爆撃シーンをどうやったら良いか悩んでいたときに事務局を通じて連絡してくださいました。詳しいことはこれから上映する作品なのであまり種明かしになってしまうので書けませんが、打ち合わせで教えて頂いたことだけでももの凄く面白かったです。特撮シーンは9月〜10月にかけて、急ぎで撮影します。請うご期待!!

2009年9月21日 (月)

先日taroが帰指しました

先日、来年制作予定「好奇心の漂流記」を読む原作者の神山太郎さんが故郷指宿に帰ってこられて、我々とついに第3種接近遭遇しました。
想像していた感じ、顔があまりに現実の本人とぴったりだったので笑ってしまいました。メールやブログの文章のタッチが軽妙で、リズミカルでテンポがある感じでした。鹿児島市に向かって226号線を走っていくと、指宿商業高校に行く手前に昔あった「神山書店」の方でした。神山さんの希望で来年監督をすることになっている宮田絵里花さんも同席し、しばし、映画について楽しいお話をしました。http://www.synapse.ne.jp/drums/kamiyama.html
来年は多分5月頃から撮影に入ると思いますが、まだまだ未定です。主役の小学5年生の男の子、と言うのがとても演技力を必要とするのでオーディションでもなかなか見つからないかも知れないのでそこが厳しい難関です。
とりあえず写真を貼っておきます。3

2009年8月25日 (火)

原作者の手紙

柳田一郎です。今日は衝撃的な絵を拝見しました。先の戦争中の輸送船の記録画です。私が関わる知林ヶ島の映画を作るため、近くにあった指宿海軍航空隊を調べるうち、たくさんの商船や漁船が戦争中に敵潜水艦の魚雷によって沈んだことを知りました。この絵は、あえて残された、沈没の瞬間、最後の船の姿です。船と運命を共にする人々、乗客を助けるため救命艇を離れていく船員、墜落した敵のパイロットを救助する自らも漂流している船員達、波にのまれながら大砲から離れず最後まで撃ち続ける兵士達・・・戦争の善悪判断を超えて見ていただきたいと思いました。そして、多くの人々が今もなおこの深い海の底に眠っておられることを思い、海の安全を守ることの大切さを思いました。期日は9月6日(日)まで、場所は鹿児島市山下町の宝山ホール(鹿児島県文化センター)地下、主催は日本殉職船員顕彰会、入場料は無料、単なる宣伝とは受け止められない時間でした。以上

2009年8月20日 (木)

そのワンシーン

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2009年8月15日 (土)

原作者からの手紙 その7

原作・鑑賞の手引き7「国立公園と砂の道(知林ヶ島の砂州:ちりんがじまのさす)」

 しばらく架空の話が続きましたので、現代の本当のお話を申しあげます。

1 国立公園(こくりつこうえん)を守る人々について 

 指宿市の中の広い区域が、霧島屋久国立公園(きりしまやくこくりつこうえん)に含まれています。
 「国立公園(こくりつこうえん)」とは、我が国を代表する自然(しぜん)の風景地(ふうけいち)を守るため、国によって指定された特別な場所のことです。
 指宿市にこのような場所がたくさんあることはとても誇らしいことです。例えば、魚見岳、知林ヶ島、指宿温泉、池底、鏡池、山川湾、長崎鼻、開聞岳、大野岳、池田湖、鰻池、御門平断層崖など、主な観光地も含まれています。
 これらの場所は、自然を大切に残していく必要があります。そのため、国では環境省(かんきょうしょう)という役所が、日本中の国立公園の管理をしています。また指宿市役所(いぶすきしやくしょ)や県庁(けんちょう)にも、そのお手伝いをする仕事があり、原作者も県庁でこの仕事をしました。

 お隣の鹿児島市(かごしまし)に、環境省の「鹿児島自然保護官事務所(かごしましぜんほごかんじむしょ)」があります。そこには自然保護官(レンジャー)という人がいて、国立公園を守る仕事をしています。この環境省の仕事を、ボランティアでお手伝いする人達が「パークボランティア」です。原作者も20年以上前から「鹿児島地区パークボランティアの会」の一人です。また、「緑の少年団」や「子供エコクラブ」という子供達のボランティア活動もあります。

2 砂の道について
 
 「砂の道」は、昔はあまり知られていませんでした。しかし、パークボランティアの人達が、休暇村(きゅうかむら)のある田良岬(たらみさき)で自然観察会(しぜんかんさつかい)をするようになってから知られたように思います。そして「青い鳥(あおいとり)」というテレビドラマの舞台となって、有名になりました。
 知林ヶ島の名前の由来が、松林のこすれあう音が鈴の音に聞こえるからと語られ、ドラマの影響で「愛の島(あいのしま)」とも呼ばれ始め、とうとう「恋人同士で歩いて島に渡り、鈴の音を聞いたら結ばれる」といううわさまで立ち始めました。

 ※ このロマンチックな話を考え出した人は誰でしょう?意外と近くにいらっしゃるかも知れませんよ。

 それ以来、この知林ヶ島の砂州を観光に来る人が増えています。最近では、砂の道を安全に楽しんでいただくために、砂州の入り口で注意事項をお伝えする方々の熱心な活動も始まりました。また、今年4月には、環境省の工事により知林ヶ島の遊歩道(ゆうほどう)が完成し、島の中を安全に一周することができるようになりました。

 ※ 島の遊歩道に、1か所だけ工事中についた動物の足跡を残した場所があります。ぜひ探してみてください。

 たくさんの人に国立公園の自然に親しんでもらうことは大切です。しかし同時に、訪れる人達に鹿児島湾(かごしまわん)の入口にある島の自然とお付き合いする「マナー」もお知らせしなければなりません。映画「砂の道の向こう」がそのお役にたてるようになれば、原作者としてはとても嬉しいです。

3 指宿の女の子のみちびきについて

 原作者が指宿海軍航空隊のことを知ったのは、約10年前の自然観察会でした。
 休憩の散歩の時、指宿市内の小学生の女の子が、「いつもおじいちゃんとお参りするお墓があるの、あっちよ」と、慰霊碑(いれいひ)の前に連れて行ってくれました。原作者は、その場所に行って初めて、自然の中を過ぎた厳しい歴史を知ることができました。体がふるえました。いつかこのことを伝えなければならない…とも思いました。
 もう二十歳ぐらいになられたでしょうね。あの時のお嬢さんに伝えたいです。
 「あなたは、私の人生を変えました。この映画を見てください。あなたを育ててくださった指宿の街への恩返しです。」

 ※ ご愛読(?)ありがとうございました。ブログへの連載はこれを最後といたします。映画の完成をご期待下さい。  原作者:柳田一郎
  

図書館で七夕飾り

指宿市立図書館で七夕をしたいけど肝心の笹竹がないとのこと。早速浮来亭のお助けマン、今村俊一さんにどこにあるか聞いたところ、揖宿神社の境内にあり、そこでまた宮司の河野さんに連絡、快諾していただきトラックまで貸していただきました。無事届けることができました。やっぱり指宿市民は凄い!!

先日図書館からお礼のメールと写真が届きましたので貼っておきます。Cimg8251_4
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2009年8月14日 (金)

正義

正義の味方、と言うのが昔々いました。月光仮面やまぼろし探偵と言った勧善懲悪のヒーローですね。スーパーマンやスパイダーマンもそうかも知れないけど、彼らはもう少し複雑みたいでスーパーマンなどはアメリカの利益のために戦ってる感じすらします。
その月光仮面たちと戦ういわゆる悪人達ですが、当の本人は悪人と言う設定なので仕方有りませんが、その手下と言われる人たちのことが子ども心に不憫でした。あの人たちは月光仮面にやられるけど可愛そうだなあとか、家族はどうしてるんだろうとか考える変な子どもでした。

日本史の中の戦(いくさ)は敵味方に分かれて戦いますがかなり簡単に寝返りあまり正義は語られません。しかし、近代の国家間の戦争は正義は我に有り、敵は徹底的に殺す、などと言う論理がまかり通っています。最近のアメリカのイラクの空爆の理由は、結婚式を爆撃・銃撃しておいて、武器をもって集結していたとか、民家を爆撃し、テロリストの家だったとか、軍事工場だった、とか言っていますが、太平洋戦争の際、東京大空襲の理由は、日本には家内制工場があり、民家を装った軍事工場だからと、爆撃し、10万人とも言われる死者を出しました。この責任者は戦後、自衛隊の教育に尽くした功績と言うことで佐藤栄作首相から勲章までもらっています。

今になってやっと禁止され始めた、クラスター爆弾の一種とも言われている焼夷弾は太平洋戦争当時日本全国にばらまかれ、多くの死者を出しました。山手から海岸付近までガソリンを飛行機からまき、wikipediaによると「焼夷弾(しょういだん、英:Incendiary bomb)は、爆弾・砲弾の一種で、攻撃対象を焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っているもの(焼夷剤)が燃焼することで対象物を火災に追い込むのが目的。焼夷剤として使う物としては、主に後述するテルミットや油脂、黄燐の他にも重油などが用いられている。」、これが人間が住んでいる街の中へ落とされて炎熱地獄の中、あなた方の祖先達は死んでいったのです。

しかしまた、日本軍もまた中国で、フィリピンで、朝鮮で同じように、その国人々を殺したのです。彼らはまったく普通の社会に生きているどこにでもいる人たちでした。それは正義の名の下に行われたのです。
それは、アメリカだけでなく、ドイツが、イギリスが、オランダが、ソ連が、オーストラリアが、ほとんど世界中の国々が正義の名の下に行った戦争という犯罪です。彼らを駆り立てたのは数人が企てた経済、国家と言う名のもとに守りたかった利益です。

美しく、勇ましい言葉を並べられ、汚れのない、何も世の中を知らない、15歳から20歳前後の若者達がそれを行いました。つい先頃まで新聞に載っていたカンボジアの内戦、アフリカの内戦も同じです。

もう、正義という言葉にだまされないようにしたいと思いますが、古い人間なので、水戸黄門は観てしまいます。
笑いをとれたかな、あまり熱く書いたので昔なら、憲兵に連れて行かれて拷問を受け死んでしまっているところです。

太平次 旅立ち

  • 216
    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

  • Photo_1
    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。