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2009年12月

2009年12月23日 (水)

いろいろ

特殊撮影シーンの撮影日の事をお話しましょう。
撮影は鹿児島特撮映像研究団体にお願いしました。きっかけは鹿児島特撮映像研究団体(以後鹿特体)から事務局に届いたDVD
。内容を見て驚きました。ウルトラマンの活躍、オリジナルのヒーロー戦隊の映像でした。早速電話して特撮シーンを手伝っていただきたい旨を話しました答えは快諾。さあいよいよムービープロジェクト初の特撮です。
鹿特体の岩崎さんは熱い方で、お会いする時にはすでに撮影プランを持ってきていました。今まで培った技術、アイディア、ノウハウを話し、それで行くことに一旦はなりました。しかし、ペットボトルにガソリンを入れて発火、爆発させるというアイディアに私が凄く不安を持ち、また鹿特体もこれは未経験ということになり、先に進みませんでした。そこへ、以前から何回も連絡し続けていた(有)六葉煙火とやっと連絡がついたところから、爆発は火薬でやることに方向転換しました。
現場は岩崎さんの職場の1階を借りていただき、特撮監督として鹿特体の大川内さんがきていただき、撮影が始まりました。
撮影に使う、飛行場は岩崎さんが作りました。指宿飛行場にあったと思われる、トーチカ(コンクリートで作られた銃眼を持つ小さな砦のような射撃台)、電信柱、給水塔等々も作られ、その精密さは目を見張る物がありました。
指宿飛行場に配置されていた「零式観測機」は南九州市在住の大工、福吉大一郎さんが作りました。もちろん本物はないのでプラモデルからの製作ですがこのモデルがいくら探してもなかったんです。それを彼らはさっと見つけてきて、精密に、いわば本物そっくりに作ってくれました。原作の柳田さんも作ったんですが、機体に光沢があったり少し現実感がなく、作り直しました。B29は柳田さんのを使用しました。
六葉煙火の古閑さんは何回も発火・爆発のテストを繰り返します。火薬を使う撮影をするから許可を頂いていた、指宿消防署から署員の方もきていただきなかなか雰囲気が盛り上がってきました。
鹿児島からはるばる大川内一家がやってきて、息子さんたちも福吉さんの指導で飛行場付近に生える雑草のつもりのパセリを飛行場の周辺においていきます。
さあ、撮影。いろいろやったけど内容は以下です。
まわりに青い布を巻きました。魚見岳をバックに映すためのクロマキー編集用です。
カメラは低く、零式飛行艇の下部から狙います。ファインダーを覗いた大川内さんは、「うわっ、本物だあっ!!」。
 吹っ飛ぶ零戦をひっかける紐はうまくいかなかったので、下川路が革手袋にコートをすっぽり被り、カウントダウンでまず、爆風を煙り玉で爆発、カウントダウンから遅れること0.5秒で飛行場に落下する爆弾が爆発、零式飛行艇の翼を持っている下川路がカメラのレンズに向かって回転させながら近づけます。これを繰り返すこと3回。大川内監督はこれでOK。
この様子は特撮アルバムでご覧ください。
       
造 形…岩崎 裕行(鹿児島特撮映像研究団体  福吉 大一郎(零式観測機製作)


特殊撮影協力…大川内 健人  大川内 將人  赤崎 ゆかり  赤崎 俊喜

火薬 (有)六葉煙火Pict2414
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さあて、と

また、さぼりましたねえ。前回記載分はなんと9月22日。特撮部隊と知り合った事を楽しく紹介していました。今日は12月23日イブイブ、です。この間何をやっていたのか?をお答えしていきましょう。

先日12月20日日曜日、「砂の道の向こう」の上映試写会でした。編集もピークを迎え、この時期、相変わらず2週間ほどは睡眠時間2〜3時間で仕事も年末なので異常な状況。撮り直し、アフレコの音声の再録音、音楽の作曲(え?今頃;これには訳あり)、アレンジ、レコーディング、と過密なスケジュール。そしてさぼることを許さない、会社の仕事(ホント?)

で今まで、少しずつは映像ファイルを繋いでいたので以前ほどはパニックでは無かったし、以前より、撮影の仕方が計画的だったり、編集を考えて撮影していたので、あまり悩むこともなくたんたんと繋いでいきました。しかし、どっこい、今回は撮影時の音声を使わず、アフターレコーディングした音声を使うため、編集時間はいつもの倍。でも楽しくて楽しくて。と言うのはパズル感覚で口の動きに合わせて後で録音した音声を重ねて行くんです。でも役者は撮影現場では、ついノリでしゃべったり、台本にない台詞をしゃべったりしているので、切り貼りが大変でした。時には映像の方をスローモーションにしたり、早回ししたりしました。音声は音節でしゃべっている箇所は、まだそこで切って貼れるんですが、役者は雰囲気でしゃべるので、後で冷静に話して録音した音声とはどうしてもずれるんですね。それをまた声をちぎって重ねながら貼るんですね。
いやあ、楽しくて大変な作業にかなり時間を食いました。

苦労の割にアンケートでは声と口が合わない!!とあり、そうだよなあ、最後は時間がなくて、「えい、やっと」進めたモンなあ。それから、アフレコしたつもりでも、その音声がない!!!!。録り忘れ、録り損ないがその原因ですが、役者さん達に連絡してまた時間を割いて頂き録音。

それでも遠いところにいる方、超多忙な方にはなかなかお願いできず、そのまま流しました。すると、観客から、音声が大きかったり小さくなったりしました。と言うアンケートがあり、あら、ばれた。
鹿児島市内からわざわざ見に来てくださった映像作家の方からも言われ、原因を彼と追求したところ、アフレコと同時録音ではボリュームを落として、同じにしても、音圧が違う、雑音が多い等との理由でうるさく感じるんですね。
だから、次回の上映会に向けてアフレコをやり直すと言うことになりました。
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太平次 旅立ち

  • 216
    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

  • Photo_1
    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。