『好奇心の漂流記』神山太郎 優秀作品賞
<人物>
山下シュンスケ(11) 旅行に来た小学5年生
サトコ (35) 母親
エイジ (39) 父親
林 カズキ (10) シュンスケの従弟、小4
アカネ (08) シュンスケの従妹、小2
その他 指宿の人々
1.夕立の田良浜 17:00
山下サトコ(35)が波に隠れた砂州を島へ向かって走り始める
しかし、田良浜から知林ヶ島へと繋がっている砂州の両側は海中で深くなっており、また、海流の流れも速い
サトコは足を取られ、海中に引きずり込まれた
腰まで沈んだサトコの腕を掴んで引き上げたのは、夫の山下エイジ(39)だった
エイジ「まずいって、助けを呼ばないと!」
サトコ「でも、早くしないと……シュンスケたちが危ないよ!」
つい先ほどから降り始めた夕立は、その勢いを増していた
7月、待ちに待った夏休み
山下シュンスケ(11)の家族は、いとこの林カズキ(10)とアカネ(08)の兄妹を連れて、
千葉から指宿に遊びに来ていた
“一日に数時間だけ歩いて渡れる無人島”という神秘的な魅力に惹かれ、5人は知林ヶ島へ渡った
快晴だったが、ふと、視界が急に暗くなり、いつの間にか空一面を覆っていた
荷物を片づけながら、サトコは子供たちの姿が見えないことに気づいた
エイジ「もしかしてあれか?」
2人が砂州を見ると、遠く、もう田良浜に近いところに3人の子供の姿が見えた
サトコ「えー?3人で戻っちゃったの?」
エイジ「おぃ、やばいじゃん。急ぐか!」
田良浜に戻る2人
そのとき砂州の上に黒い点が現れる、夕立である
サトコ「シュンスケー!ちょっと3人とも待って!」
3人に追いついたサトコ
サトコ「勝手に帰っちゃ危ないでしょ!さ、車に戻るよ……」
3人が振り返る
違う
そこにはシュンスケと、カズキ、アカネの兄妹ではなく、背格好の似た見知らぬ子供がキョトンとしていた
サトコ「……え?えっ?」
頭が真っ白になるサトコ、そこにエイジがようやく追いついた
エイジ「おい……まさか……」
雨足が急に強まる
2人は島の方を振り返る
砂州の中間地点にあたる部分は、すでに波に隠れ始めていた
2.子供だけの無人島 16:00
3人の子供は島の斜面を登っていた
知林ヶ島は急な斜面に囲まれた島であり、普段、砂州から行けるのは島の砂浜の一部だけである
子供たちが偶然見つけた斜面の小径は、島の奥に続いているように見えた
不思議な島の魅力に当てられたからか、細い山道に3人は言葉にならない好奇心を覚えた
シュンスケ「着いたー!」
シュンスケが、斜面を登り切った
シュンスケが振り返ったその先には、“東洋のダイヤモンドヘッド”と称される魚見岳の切り立った崖がそびえ、その下から伸びる約1kmの細長い砂州が、田良浜と知林ヶ島を結んでいた
シュンスケ「見て見て!」
運動神経の良いシュンスケやアカネと比べて、カズキは若干運動不足気味であり、この斜面の坂道は少々彼にはキツいようだ
シュンスケ「もぉ、遅いよー」
この小さな冒険の達成感が、彼の気持ちをさらに昂ぶらせていた
シュンスケ「もっと奥行こうぜ!」
3人が登ってきた山道は、緩やかな下り坂となって、島の内側へさらに続いていた
シュンスケ「こっちの方がおもしろそうだよ!」
そう言って一人でどんどん進んでいってしまった
2人もしかたなく後に続く
数十m歩いたところだろうか、辺りが急に暗くなった
木の枝の隙間から見える空は、雲で覆われていた
カラス「ガァァァァ」
すぐ頭上の木から鳴き声が響いた
3人「わぁぁ!」
シュンスケは逃げようとした
カズキ「待ってよ!……わぁっ!!」
ザザザザザーッ
急にカズキの声が消えた
振り返ると、アカネしか見えなかった
シュンスケ「……カズくん?」
カズキが消えたであろうその場所には、ぬかるみがあった
山道の横の斜面には、何かが滑り落ちたような跡があり、その先は一段低くなっていた
アカネ「……落ちた」
今にも泣き出しそうなアカネの指さす先は、やはり斜面の方だった
辺りにパラパラと、今までと異なる音が響き始めた
夕立だった
3.好奇心の代償 18:00
カズキは泣きもせず、黙って自分の足を押さえて座りこんでいた
シュンスケがカズキの足を見た
左の足首の辺りから少し血が出ていた
夕立はさらに勢いを増しており、木々が傘になってはいるものの、3人ともすでにだいぶ濡れていた
しばらくして、シュンスケが口を開いた
シュンスケ「カズくん、つかまって。雨やどりできるところで休もう」
シュンスケはカズキの肩をかつぎ、斜面の陰まで連れてきた
カズキの怪我は少し切った程度で、大事ではなさそうだった
シュンスケ「ごめんね」
カズキ「……」
シュンスケ「お父さん呼んでくる」
カズキは黙ってうなずいた
シュンスケ「アカネちゃんはカズくんとここで待ってて!すぐ戻ってくるから!」
アカネも黙ってうなずいた
シュンスケは雨の中、走り出した
だんだん暗くなってる、砂浜まで戻って、お父さんを呼ばないと
きっとお父さんから怒られるけど、カズくんに怪我をさせたのは俺だ、助けないと
シュンスケの中で、今まで感じたことのない力が沸き上がってきたのが感じられた
「勇気」でもなく、「好奇心」でもなく、自分を動かす何か大きな力を
しかし、
雨でさらに滑りやすくなった山道を登り切り、魚見岳と砂浜が見えるところまできたとき、
シュンスケの目に絶望的な景色が飛び込んできた
道が、砂州が無くなっているのだ
一瞬、シュンスケはわけがわからなくなった
だがそれでも、親を呼んでこなければならないことには変わりない
シュンスケは、砂浜に向かって斜面を降り始めた
4.遭難事件 18:30
未だ止む気配のない夕立
エイジ「……はい、山下といいます。
子供が3人、知林ヶ島に取り残されたんです。
はい、私の息子と、甥と姪の3人です
今ですか、知林ヶ島の陸側の……えぇ、田良浜ってとこだと思います
理由は……あのぅ、その、私の不注意で……」
サトコ「いいから!早く来てくださいよ!
子供たちが危ないんですよ!」
焦るあまり、サトコはエイジの電話を途中で奪い、警察に向かってまくしたてた
15分後、1台のミニパトが駆けつけた
2人の警官が出てきた
若手の警官「山下さんですか?」
中年の警官「通報していただいた内容を確認させてくださいねー」
エイジ「はい、息子と、甥と姪の3人が…」
サトコ「子供たちが島に取り残されたんです!助けてください!」
若手の警官「お母さん!ちょっと落ち着いて!」
若い警官がサトコをなだめる中、エイジは事の次第を中年の警官に話した
中年の警官「……わかりました、本部に連絡を取ります
あと、漁協にも応援を要請します」
エイジ「ギョキョウ?」
中年の警官「船ですよ
山下さんな、知林ヶ島は砂州で繋がってないと潮の流れが速かで、渡るのは危なかど」
サトコ「そんなこと言わないでください!」
中年の警官「まぁ聞かんか!
今、指宿の漁協の人に協力を依頼しとります
島に入れるかどうかは分からんどん、周りから探すことは出来っど」
サトコ「…そんな…」
エイジ「…わかりました、どうかよろしくお願いします」
中年の警官「安心せんか、私達に任せっくいやい
吉留!連絡はついたか!?」
若手の警官「ハイ!指宿の漁協が協力してくれるそうです
あと今、岩本と山川の漁協にも協力の呼びかけを送ったそうです」
2人は呆然と立ちすくしていた
“子供達はすぐには戻ってこない”その現実が2人に突きつけられていた
指宿の夜も8時ともなればさすがに暗くなってくる
漁協の呼びかけを受けた漁船が島の周りに停泊している
雨はだいぶ弱まったものの、今度は風が強くなり始めていた
若手の警官「漁協から、追加の応援がじきに着くと思います、
ただ…この天候と時間ですし、上陸しての捜索は難しいかと思います」
エイジ「そうですか……」
若手の警官「希望を捨てないで、お子さんはきっと島にいます」
田良浜の捜査本部に、見知らぬ人々が現れた
近所の人1「山下さん……ですか?」
エイジ「……はい」
近所の人2「私ら、この辺に住んじょっ者ですがよ」
近所の人3「気張いやんせなぁ、お母さんがしっかいせんなやっせんど!」
近所の人1「こいは差し入れじゃっど……大したもんじゃ無かどん……」
エイジ「すみません、ありがとうございます!……ほら、サトコ」
サトコは涙を拭きながら
サトコ「……はい、私たちも、頑張ります……」
沖合の漁船からは、3人へ呼びかける声が響いていた
5.小さなサバイバル 20:00
夜の闇が、岩陰で雨宿りをする3人を包んでいた
知林ヶ島の灯台の光だけが、互いの顔を確認できる手段だった
シュンスケ「朝まで待とう?明日になったらきっと帰れるから!」
2人を励ますシュンスケ
それは、申し訳なさと、最年長である立場から来る責任感への目覚めだった
2人が疲れて寝てしまった後も周りを見張っていた
ふと、急に背後の岩の上で生き物が動く音がした
シュンスケ「カズくん…何かいる」
カズキ「えっ!?」
アカネはおびえた表情でカズキにつかまっている
ヘビか?2人を岩から離したそのとき、岩の上に2つの光を見た
目?ヘビよりも大きな動物だ
シュンスケが2人の盾になろうとしたその時、動物が吠えかかった
「ナァァァァ」
アカネ「…ネコじゃん」
とたんに緊張の糸が切れ、3人は笑い合った
再び岩陰に戻り、休む
シュンスケもいつの間にか眠りについてしまった
遠くの方では、かすかに漁船から3人を呼ぶ声が聞こえていた
6.無言の帰還 9:00
遅くまで降り続いていた雨も止み、雲間から朝の陽が差していた
エイジとサトコは、指宿警察に手配された漁船に乗り、知林ヶ島に渡ろうとしていた
結局、昨夜は0:00まで創作活動が続けられたが、海からは3人を見つけられなかった
夜の闇と波の高さを考慮し、操作はいったん打ち切りとなっていた
2人は砂浜に降り立ち、警察の捜索隊が準備を進めていた
エイジとサトコが砂浜から島の丘陵を見上げていると、突然、目の前の藪が音を立てた
藪の中から現れたのは、3人の子供だった
サトコが3人に駆け寄る
(怒られる!)
シュンスケが覚悟を決めたとき、サトコは3人を抱きしめた
サトコ「…バカ!」
アカネが初めて、声を上げて泣いた
若手の警官「いたぞー!無事だー!」
捜索隊が駆け寄ってくる
エイジは膝に手をやり、大きなため息をついた
昨日から張りつめていた緊張感が、ようやく解けた瞬間だった
エイジはシュンスケの顔を見た
エイジ「シュンスケ、お前、ちゃんと2人を守ったか?」
カズキ「シュンくんは僕を助けてくれたよ」
エイジ「そうか、シュンスケ、お前はお兄ちゃんだもんな?」
黙ってうなずくシュンスケ
エイジには、昨日とは何かが違う、リーダーシップだけではなく、それに裏打ちされた責任感を身につけ、たくましくなった我が子が見えた
若手の刑事「こちら知林ヶ島、子供さん達、見つかりました」
刑事の無線からは、田良浜からの歓声が聞こえていた
昨夜、エイジとサトコを励ましていたあの住民達の声も聞こえた
カズキの怪我の手当を済ませ、
ようやく5人で事情聴取が終わった頃には、日もだいぶ高くなっていた
5人の前には、いつの間にかあの砂州が再び現れていた
エイジ「さぁ、帰ろうか」
シュンスケ「うん!」
とても長く、とても小さな漂流記が、ようやく終わろうとしていた
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