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2006年12月

2006年12月29日 (金)

お礼

今日は嬉しい連絡があり、製作氏は舞い上がりました。指宿コーラルビーチホテルの社長さんから通称「オーナー会」から高額の協賛が決まったとのこと、指宿白水館オーナーの「こういうことの芽は育てなければ」の一声で決まったそうです。ほんとうにありがたいことです。改めてお礼には伺いますがこの場を借りて、急ぎお礼を申し上げます、本当にありがとうございました。事務局長も安堵の声おをあげていました。先日は鹿児島相互信用金庫の「そうしんまちづくり振興基金」に採用されてそれも大喜びしたところでした。こちらも関係者の皆様ありがとうございました。スタッフ・役者一同気を引き締めて、励み、少しでも良いものを作りたいと思います。

暮れに撮影

暮れの29、30日に撮影です。どこか頭の回路の違う人たちが集まったようです。指をさされなければ良いがと願っています。
今日は砂むしの撮影でした。どこぞのアホが忘年会でとめた車の場所を間違えたあげく工場で一夜を明かし、零下の中、酒の勢いで眠ったものの明け方4時にあまりの寒さに目を覚まし、もう眠れず、車の場所までタクシーで戻り、指宿を目指したのは良かったが、途中で眠くなり、こらえきれずに車を停めて眠ったら何と7時30分、電話は電池切れ、ああ。現場に着いたのは約束の8時を15分ほど過ぎ、スタッフの冷たい厳しい視線をまともに受けてしまいました。皆さん本当にごめんなさい(製)。
さて、砂むし会館砂楽の福永さんの指導と協力のもと、北風ふきすさぶ摺ヶ浜海岸で浴衣一枚でやってきました役者さんたち、そしてご存じ観光協会事務局長、待たせてたらしっかり砂むしに入り、風呂に入って、もうすんだと言う困ったエキストラほかいつものスタッフが勢揃い。コートの上からびしっと寒さをたたきつける北風にみんなぴょんぴょん飛び跳ねながら撮影、花の17歳の女子高生監督は顔中ひん曲げてずるずる言わせながらの「ヨーイ、スタート」、になりました。砂むしを撮って20年の製作は慣れたものでしたが、これも寒さのためになんとなくうまく行きません。それでもなんとか取り終えたときにはほっと胸をなでおろしました。こだわりのカメラマンも今日はあまり「すみません、もう一回良いですか?」の声が出なかったなあ、そう言えば。強風が乙女たちの着物を吹き上げようとするのをなんとかくい止めましたが、絵次第で違う映画になってしまうので必死に裾を押さえますが、難しいもんですね。
一部居残り組が明日の南記念クリニックに打ち合わせを兼ねてロケハン、その後「だいわ」で働くのりしげを冷やかそうと昼飯、休みでいなかったけど、腹ごしらえして、池田湖畔の菜の花撮り。いやあ、綺麗でした、同行した清香ちゃんもね、(一応フォロー)

2006年12月17日 (日)

望美事故に遭遇

昨日に続き撮影。しかし製作がまさかの大きなドジ。なんと望美のお母さん役の濱弓場さんを招聘するのをうっかり忘れていました。濱弓場さんは霧島市在住、電話するとなんと快く来てくださるとのこと。
現場は、次第に某所の装いを変え、本物の看護士さんが現れ、悪のりの事務局長、「こだわりのカメラマン」ことカメTのアイディアで本物の救急隊員までお願いする始末です。じつは製作もその案は持っていましたがまさかここまでやるとはのこだわりようです。
準備は以外に手間取り、霧島市から濱弓場さんが到着する予定の14時30分にスタンバイ終了。これも悪のりのスタッフ(利右衛門、環境ミュージカルで製作を助けた)が昨日から参加の照明マン湯田さんを電話1本で呼びつけ、照明のプロが入るとここまで違うかと感心するほど昨日同様素晴らしい舞台を作り上げました。
急遽駆けつけてくれた濱弓場さんの演技は素晴らしく、迫真の演技に製作は涙を流してしまうほどでした。短い時間にテンションを揚げてその場にいるもの全てを魅了して、またさっと引き上げていきました。濱弓場さん、本当にありがとうございました。これからは仕事を持ちすぎている製作に代わり、スタッフ・役者への連絡、招聘は事務局長が行いますので安心してください。
看護士さんたちの招聘や某所を変貌させるのに尽力してくれたモデル顔負けの容貌のYさん、ありがとうございました。そして、彼女をして「昨日の取材にきてくれたMBCが今日きてくれたら良かったのに」と言わしめたほど、素晴らしい現場と撮影、演技でした。スタッフの皆さん、役者のみなさんほんとうにありがとうございました。写真は某所を変貌させる、sukebeeisyaこと事務局長とY'さんです。Pict0037_1

撮影

昨日と今日もまた撮影に徹した1日でした。昨日はかいもん山麓自然公園のログハウスで、順平のお父さん、好夫が順平の幼なじみたちを招待してバーベキューをするシーンを撮りました。予定したカットは4つ、しかし、1番目に予定していたシーンが雨で延期、どうしてこうなるの?とぶつぶつ言いながら、外で予定していたシーンを全て、繰り越し、最後の食事シーンにすると材料がない、材料が届くのは夕方の予定だったために、買い出し、待ち、突然の買い出しのため担当が予定していた材料調達先とは違ったため予算を大幅に超過、等々のハプニングが発生して現場はパニック寸前。それでも本業で製作不在の現場で、事務局長指導のもと、なんとか撮影を開始、MBCの取材も入る中必死の芝居を撮影しました。なんとかドライ(演技のリハーサル)を終えたころ、製作が到着、しかし、好夫の妻智子が未到着。その「待ち」を監督のお母さんが見学に来ていたのを製作が強引に撮影に参加を要請、やっと撮影が開始しました。なかなか良い感じでドライが進みますが、舞台出身の良平役のやや派手な芝居に制作が自然な演技を求めたり、火が起きないとこだわる「こだわりのカメラマンT」を制止してカメリハを始めたりするうちに、急な要請に快く応じてくれた、利右衛門、環境両ミュージカルの監督が到着。なかなかいい味を出していた監督のお母さんに代わり、プロの味をみせて、制作をして「流石」と言わしめました。

外で予定していた、見所の多いシーンが室内で、設定を変えて行われ、なんとか終了、なんと夜の10時30分、くたくたのスタッフを待っていたのは役者たちに全て食べられた焼き肉の残骸でした。腹を空かせながら、泣きながら寝てしまった制作、現場から遠く離れた「・・街」に食と・・を求め遂に帰らなかった事務局長、幸福な家庭に帰って行った「こだわりのカメラマン」と明暗を分けました。

写真は順平たちの食事シーン。Pict0032_1

2006年12月 9日 (土)

お休み

今日と明日の撮影は16日の大がかりな撮影の準備のため、お休みです。それで、目標「北の国から」を目指す製作としては、指宿の美しい自然をドラマに取り入れたいと思っていました。メインテーマの作曲と、アレンジ、シナリオの整理が詰まりながらも、(多分二日酔いの)配給元改め事務局長と一日かけて、指宿の自然のビデオ撮りとスチール撮りをするつもりです。しかしあいにくの雨、土日のスケジュールを変えることにします。
さて、昨日、ドラマの配信をお願いすることになった九州ビデオサービスの北原氏と打ち合わせた製作は、シナリオの全面見直しを考え始めました。事務局長や主演の望美ちゃんに相談すると、その案の方が良い、と言われ、折角7割方できあがっていた台本と撮影のデータベースのやり直しをすることに。泣く泣く始めようとしていますが、心の中は、良いものを作ろう、とする前向きな製作マンと、ああ、またやり直しかあ、と嘆く後ろ向きな製作マンが戦っています。折角今日から楽しい作曲の仕事が出来ると胸弾む思いだっただけに、少し可愛そうかな。でも、台本作りも楽しめる作業なので、がんばろうっつ!

昨日、12月8日(ジョンレノンの命日、太平洋戦争に突入した日)に朝日新聞の県版トップにムービープロジェクトが紹介されていました。見出しは「高校生監督」、キャッチーですね。写真も先日の撮影風景が大きく扱われました。朝日新聞様ありがとうございました。http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000612080002
先日は、南日本新聞にも大きく扱っていただき、南日本放送もテレビで長く放送していただいたり、KTS、KYTの方々も取材に来ていただいたり、本当にありがとうございます。これでますます、われわれのドラマは失敗ができなくなったと言う、良いプレッシャーではち切れそうです。
ただ、資金が乏しい!そろそろ手出しがはじまっている今日この頃、企業の皆さん、個人の方々、どうか浄財によるカンパをお願いします。

2006年12月 3日 (日)

撮影2日3日め

12月2日は産業祭り会場で撮影しました。やっと決まった奈津美さんと、壮一先輩のシーンを最後に、3シーン撮るのに朝9時から15時までかかりました。いつもの子どもたちも浴衣とTシャツで参加、指宿市役所の生活環境課の面々もアロハを着て参加してくれました。2日はMBC南日本放送、KTS鹿児島テレビが取材に来てくれました。我々のやや貧弱なカメラと放送局の高そうなカメラが並び、ややこしい状況の中を、美季監督が「用意、スタート」と叫ぶと演技する人たちと取材の人たちがわらわらと動きだしました。
冬服の一般の方々と夏服のわれわれのキャストが入り交じり、よけながら撮るのが大変でした。

3日は御輿とハンヤ踊りのシーンでした。御輿は青年団がいつもの衣装で元気良くかついでくれました。メインキャストの中に入れてもらって担ぎましたが、これがなかなか大変、御輿に振り回されないように、棒についていくのがやっとです。その様子は本編をごらんください。その後ハンヤ踊りに文化協会の皆さんが大勢集まって頂き、ハンヤ踊りがかかると、指宿駅は夏になったようです。
御輿の青年団とキャストも懸命におどりました。

太平次 旅立ち

  • 216
    指宿ムービープロジェクト制作の6つめ(名義は7作目)の映像は指宿まるごと博物館と共同で制作する「TAHEIJI旅立ち」 幕末の指宿に生まれ、海上王として花開き、日本の長者番付でトップになり、島津藩の逼迫した財政を立て直し、ついに明治維新へと舵を切らせた希代の英雄、濱崎太平次を多くの資料や聞き書きによって脚本化し、念願のドラマを今年造ります

好奇心の漂流記

  • 打ち寄せる青い波
    2010年7月からクランクインした「好奇心の漂流記」もやっとクランクアップが見えて来ました。とは言え、今日も「見た目」「イメージ」「・・・」を撮影に1人うろうろ、してる人物がいます。今年こそは指宿市民会館で上映できると張り切っています。このアルバムはブログで紹介できなかった様子をそのままお見せしています.

ふるさとCM撮影

  • 菜の花畑で
    3月30日、春休み最後の日を利用して、菜の花が最後まで残った池田湖の菜の花畑をお借りして撮影しました。締め切りは今年9月ですが、菜の花がテーマなのでいち早く撮影しました。なんと1日で。

5年後の縁結び

  • Pict0095
    2008年9月7日日曜日クランクアップの日。今まで携わってくれた方全員は集まれませんでしたが、中学生を中心に知林ヶ島が見える海岸に集合しました。最後の撮影はまた、大急ぎで行われ、なんとか撮り終わりました。この後、記念撮影の後、制作サイドで用意した記念品を配り、主演の宮田絵里花 さんと若松大義くん、それに最年少の輝帆ちゃんとひなちゃんに花束贈呈をしました。絵里花ちゃんたちはサプライズとして、みんなで色紙を書いて制作統括に渡し、統括は目を潤ませるといった1シーンもありました

トリオ撮影日記

  • Pict0665
    指宿ムービープロジェクト実験ドラマ「トリオ」の撮影風景です。たった6日間の軌跡です。しっかり、楽しんで、たくさんの思い出を残し、良い映画を作りたいです。

今までのナイスショット

  • Dsc00348
    今まで撮影した中、あるいは、スチールを撮りに行った時のナイスしょっと等載せました。この中からアイドルが生まれるかもね

入院中の望美

  • Photo_1
    ヒロイン;望美が事故に遭い入院してるのがこの病院、最初の話では鹿児島市で事故に遭い、救急車で鹿児島市内の病院に運ばれ、指宿市内の病院に転院という設定でしたが、救急車が指宿市内まで運んでくれたことになり、この南記念クリニックで撮影させていただくことになりました。というのはカメラマンの樋園さんがここで理学療法士として働いているため。先生その節はお世話になりました。

事故シーン

  • Photo
    指宿中央自動車学校と鹿児島中央駅キャンセビル横で撮影した事故シーンの写真 役者・スタッフを前に前説をするむっちゃん、寒さの中をじっと耐えるエキストラの面々、等見所充分。とはいえやはり、血だらけで横たわる望美嬢の悲惨さに目をつぶることはできません。 この日は2つの街が現場なのと大勢の方に協力を頂いているのでもう、大変でした。雨も降ったりやんだり、突然晴れたり、もう、どっちかにしてくれ、撮影できないよ
フォトアルバム

指宿ムービープロジェクト関連サイト

  • FB  指宿ムービープロジェクト
    指宿市を舞台に映画作りをしています。指宿が生んだ幕末の豪商、浜崎太平次と指宿に伝わる篤姫の話しを映像にしました
  • 指宿ムービープロジェクト公式ホームページ
    指宿ムービープロジェクト実行委員会のすべてを掲載しています
  • 指宿市役所
  • いぶすき菜の花マラソン実行委員会
    新年第二日曜日に指宿市内で行われるマラソン大会。沿道には早咲きの菜の花が咲きそろい、市民が応援する、おもてなしのマラソン大会来年で29回うぃ数える、14,000名を超える参加者がある。
  • 平成版IT湯治
     湯治という営みは、まだ病院や医学の知識も無い遠い昔から、人々が元気になる為の手段として有りました。 労働や、日常の様々なストレスの中で疲れた心と体を、薬でなくとも温泉や自然、静かな環境などが癒してくれることを、人々はその体験から知っていたのです。  この体感的に感じていた温泉の湯治効果を、現代のIT技術で、目で見て判るかたちで知り、それを観光や日常の健康づくりに活かそうという試みが、指宿温泉で始まりました。  それが「平成版IT湯治」です。