戦争、についての疑問
アブナイ考え、と言うのがあると思っています。
いわゆる戦争映画、はアクション映画に通じてかっこいいですよね。スタイルも顔も良い役者がさっそうと敵を倒す、或いは倒され傷つく、同じ軍隊にいる同僚が犯す犯罪的な軍事行動をハンサムな役者が弾劾する、と言った良くある設定、話しは戦争映画の中に引き込んでいく常套手段だと思っています。また、中に登場する数々の武器、車、戦車、軍事用の船(戦艦、空母、駆逐艦等)、そして数々の航空機はその機能美、その使われ方により観客を惹きつけずにはおきません。博物館に展示されている刀剣類が美術品としての地位を得ていることと重なります。またアクション映画におなじみの敵味方入り乱れて撃ちまくる銃の射撃シーン、ターミネーター、マトリクスがその良い例かも知れませんが、それを現実に行っているのが戦争です。銃や、軍用の交通機関はかっこいいのですがそれは現実には殺人のために作られたのだと言うことを映画は忘れさせ、主人公側からすれば相手を倒すために使われ、使われた方は死んでしまうのですが、それはあまり映画の中では語られません。侵攻できた、防衛できただけで将棋の駒のように使われ死んでいく兵士、民間人(あなたや私たちのような)のことは無視されていますね。もちろん戦争映画では「もう二度とこんな戦争はしてはいけない」と役者に語らせますが、その前に派手な戦闘シーン、殺戮シーン、で観客をあおっていますので、もちろんみんな戦争は良くないと思っていると思いますが、人間の本能と言うのか戦闘、武器に寄せる興味は募って行くと思います。事実、製作サイドでは映像的に水上飛行機が飛行し、銃撃戦をやり撃ち、撃たれ炎に包まれながら降下し、亡くなっていくシーンを撮りたくて作りたくてたまらなかったんです。しかし、それを先のような理由で強固に反対するスタッフもいて、我々の意志としてそういったシーンは入れませんでした。
したがって、「砂の道の向こう」は戦うより、愛することを主軸に作る事に努めています。
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